萩を離れ、東京で活躍する先輩が歩いてきた、人生のストーリーをたどってみませんか?
第4回は、株式会社リベルタ 代表取締役 澤野啓次郎さんに話を伺いました。
前半と後半とに分けてお届けする澤野さんのストーリー。前半は、起業するまでの人生を振り返っていただきました。後半は、澤野さんが手がける外国人向け旅行サービス『Heartland JAPAN(ハートランド・ジャパン)』のこと、萩への思いを尋ねました。
インバウンド旅行事業『Heartland JAPAN』がスタート
―前半で伺った『花燃ゆ』のお仕事をはじめ、澤野さんはウェブコンテンツの制作を糸口に事業を広げてきていますが、現在、最も力を入れているのは、外国人向けの旅行事業ですよね。しかもメジャーな都市ではなく、言ってしまえば、片田舎での体験コンテンツを旅行プランとして販売されています。日本には景勝地といわれるスポットがたくさんあるにもかかわらず、こういった場所にスポットライトを当てようとしている。この視点はいつごろ、どのようにして芽生えたのでしょうか?
起業の翌々年、自分の先行きを悩んだ時期がありました。その頃、たまたま付けたテレビが、とある番組を映していたんです。それは、外国人観光客が嬉々として田園風景の中や草の生い茂る林道を歩く姿でした。
東京や京都のようなメジャーなところではなく、僕に言わせれば、何の変哲もないどこの田舎にもよくある風景です。だけど、それを心から楽しむ人がいる。このギャップに純粋に驚くと同時に、前から描いていた構想が、ふと頭をよぎったのです。
イタリアにチンクェ・テッレという五つの集落からなるエリアがあります。人口も全部合わせて4,000人ほどの小さな集落群なんですが、断崖絶壁で身を寄せ合うように建ち並ぶカラフルな家々が、それはもうこれぞイタリアの漁村って感じで。その光景を一目見ようと世界中から観光客が訪れています。
僕はチンクェ・テッレを歩きながら、越ケ浜、長門大井、奈古、木与、宇田郷、須佐、江崎という駅で数えて七つの集落のことを思い出していました。「この廃れていく一方の山陰本線沿いの日本海沿岸の集落をパッケージングしてブランディングできないかな」「山陰の漁村集落が世界ブランドになったらいいのにな」って。そのときの淡い思いがテレビ番組を見たことをきっかけに湧き上がってきたんです。
―ここでも点と点が線でつながる体験をされたんですね。でも、今までの経験と全く違いますよね、旅行業って。
そうなんですよ(笑)。だけど、居ても立っても居られなくなり、インバウンド専門の旅行ビジネスをスタートしようと決めました。
しかし、同時に「自分に本当にできるのかな?」とも思いました。旅行業界の経験がないからビジネスの仕方がわからないし、語学も中途半端。ITと違って人やモノが行き来するビジネスだから手数もかかります。
でも、地域を世界視点で見つめ直して、その価値を発掘し、外国人観光客をふるさとに呼び込む。世界中が僕らのふるさとを評価してくれるようになる。そんな光景を想像したら、不安もリスクも吹き飛びました。これこそ自分が人生を賭けて取り組めるテーマだと確信したのです。
Heartland JAPANが企画する旅の醍醐味(だいごみ)とは
―澤野さんは旅行の様子をSNSで発信されていますよね。わたしもよく拝見しています。萩往還を歩いたり、島根県に足を延ばして石見神楽を鑑賞したり。須佐ではイルカと遭遇されたんですよね。お客さんの喜ぶ姿を見ると、わたしもうれしくなります。地域の方もとても喜んでいますよね。
このとき案内した一組は、ニュージーランドのご夫婦でした。行く先々で皆さんが歓迎してくれるので、「ロイヤルファミリーになったみたい」と言って感動されていました。
奈古では、地元の方が花束を用意してくれたんですよ。このサプライズは特に喜ばれていましたし、僕も嬉しかった。東京では、こういうことは絶対にありえない。京都でも広島でも、もしかしたら萩でも無理かもしれません。
「こんなとこによくぞ来てくれました」と地元の人たちが出迎えてくれる。それが外国人観光客にも伝わる。それで心が通い合う。そんなふれあいが人生に刻まれる体験につながるのではないでしょうか。まさにプライスレスな旅行体験だと思います。
―ちなみにお客さんはどのようにして獲得されているんですか?
旅行パッケージ商品を自社サイトで取り扱っています。その一方で、僕たちは1万社の海外旅行会社とネットワークを持っており、そこから相談が入るんです。「東京、京都、広島を回るプランを提案できますか?」って。
けれども、言われた通りに計画したところで、僕らの意図する田舎の体験は提供できません。だから、依頼されたプランに加え、「数泊足して、広島から萩や阿蘇、島根に行くプランはどうですか?」って提案するんです。相手がいいねってなったら、しめたものです。
僕たちもお客さんを獲得できるのでうれしいんですが、お客さんもユニークな旅行ができる。東京や広島といったメジャーどころだけ楽しむのではなく、日本の地方の暮らしぶりも感じられる。そこで「自分は特別な体験ができた」と満足してもらえたなら、その人が日本での体験を誰かに話してくれるかもしれません。
これが「HAGI」という地名が世界に広がるきっかけになるんですよね。そうした新しい旅行体験の啓もう活動を日々行っているところです。
―萩市民にとっては日常の光景も、外国の人にとっては宝物になるんですね。
その可能性をどんどん生み出したいですね。でも、特別なことをする必要はありません。「ホンモノの日本を知りたい」と思っている外国人に、我々日本人のありのままを伝えるだけ、体験してもらうだけで魅力は伝わるんですよ。
ニュージーランドのご夫婦は、旅行中に「こんにちは」という言葉を覚え、特に奥さんは、すれ違う人に必ず「こんにちは」って声をかけていました。田舎の人って、あいさつしたらみんな返してくれるでしょ。彼女もそのやりとりをとても楽しんでいました。これって、僕が「チャオ」って言いながらイタリアを旅するときと同じ感覚なんだなあ、今まさに日本の田舎を楽しんでくれているんだろうなって思うとうれしくなりました。
田舎には田舎の良さがあります。外国人を受け入れる人々のオープンなマインド、人と人のつながりを大事にする温かさとか。それらが伝われば、どんな小さな町でも観光資源になりうると、僕は本気で思っています。
萩の中高生に伝えたい。「東京を目指すな。世界を目指せ!」
―澤野さんの世界中の人をターゲットにしたビジネス、しかもその舞台の一つに萩が設定されているとなったら、萩の見方が変わる中高生もいるかもしれません。昨年度、萩市内の高校を卒業した生徒のうち、8割以上が萩から転出したというデータも出ています。萩に留まることがよいのか、出るほうがよいのか。正解の無い話ではありますが、澤野さんなら人生の岐路に立つ中高生にどんなアドバイスをされますか?
萩で萩のことを考えるのも、萩の外に出て萩の価値を感じるのもいいと思います。でも、どうせならぜひ海外にも目を向けてほしいですね。すると萩ではなく、日本というスコープで物事を考えられるようになる。そんなグローバルな視点を持って自分の可能性を最大限に活かせる人生を送ってほしいと思います。
だから、少し前に話題になった高校生に550万円の……。
―世界トップ50の大学に入学できたら、市が奨学金を支給する制度のことですか?
そうそう。あれ、僕は悪くないと思うんですよね。なぜなら、「世界に出ていくという道が萩に住む私たちにもあるんだ」って、気付けるきっかけになるから。そうやって意識にのぼることこそが大事だと思います。日本ではなく、世界で評価される人を志す学生が今後出てくるかもしれないですからね。だって世界の大学ランキングに日本の有名大学は上位に入っていないんですから!
―自分には世界につながるルートがある、と気づくことが大切なんですね。
さらには、色々な選択肢があることを大人がどんどん見せられたらいいですよね。
今の話で思い出したんですが、子どもは大人のやることをよく覚えています。僕は、石見神楽を覚えていたんです。
須佐は益田の文化圏ということもあり、毎年9月になると松崎八幡宮の神楽殿で石見神楽の奉納舞があったんです。かがり火を焚(た)くなど、なかなかの規模で行うのですが、お客さんは20人もいない。決してメジャーな祭りとは言えなかったけれど、それでも僕は、3、4回は見たと思います。
その記憶が、Heartland JAPANを始めるときに、一気に蘇(よみがえ)ってきたんです。
海外に行くと、ビーチやレストランのショーとして伝統舞踊を披露してくれます。要は自国の歴史や文化をダンスと音楽で表現するおもてなしです。そういう視点で考えたとき、ダンス(伝統舞踊)って観光の目玉コンテンツになりうるなって。それを自分のツアーでやるとしたら……って考えていたら、石見神楽が急に降りてきて。
ここで大事なのは、僕が子どものころに見て、なんとなく記憶に残っていた石見神楽が、旅行ビジネスをやろうと思った際に意識に上ってきたことなんです。
これって30年前に石見神楽を須佐に呼んでくれた大人がいたからこそなんですよね。
大人が地域の伝統を残そうとやっていることが、いまの子どもたちの記憶に残って、僕のように30年後、何かをきっかけに突然思い出すかもしれない。大人はその可能性を意識して、背中を見せることが大事だと思います。
萩は僕のアイデンティティ。ずっと関わり続けていたい。
―最後に、萩に対する澤野さんの思いを聞かせてください。
僕が一つ後悔しているとしたら、それは親孝行をできなかったことです。大学を卒業して、就職が決まって、ようやく親孝行できると思っていたけれど、それは叶わずに母を亡くしてしまった。このことにずっと心残りがあります。
「母の人生は幸せだったんだろうか?」。そんな疑問が今でもよく頭をよぎります。この満たされない想いを、いまこうやって故郷にぶつけているのかもしれません。
―ビジネスを介して萩に働きかけることで親孝行を疑似体験している、そんな感覚ですか?
恩返ししたい、貢献したいとはあまり思っていません。それよりは、僕のアイデンティティですよね。萩や須佐は僕の一部なんです。常に自分の人生に萩を取り込んでいたい、関わっていたい。その関わっている感じがとても心地いい。そんな感覚です。
―Heartland JAPANの響きも、ふるさとを感じさせますよね。
僕は、Heartlandという言葉を「ふるさと」と解釈しています。誰しもが心のふるさとを持っています。そのふるさとを世界と分かち合えたらめちゃくちゃ楽しくないですか? ワクワクしませんか? 僕はめちゃくちゃワクワクします。僕のふるさとである萩でも、その良さや素晴らしさを世界の人と分かち合えたら、新しい価値観が生まれ、いままでにない地域の未来像が作れると思っています。その実現に向け、これからも励んでいきたいですね。
萩の思い出の場所
いっぱいありますよ。菊ヶ浜、萩高のグラウンド、須佐の波止場、それから越ケ浜の漁港。友だちと語り合ったり、ガールフレンドと夕日を眺めたり、そんな懐かしい思い出がたくさんつまっています。
萩の好きなグルメ
今は無きドムドムのハンバーガーは、僕にとっての文明開化でしたね。高校生になって初めて食べたときには、「萩にはこんな都会の食べ物があるのか!」と、衝撃を受けました。一緒にイチゴシェイクを注文してね、これがまたよく合うんですよ。だから、いまだにハンバーガーを食べるときは、イチゴシェイクも注文しています。
リベルタ株式会社
ハートランド・ジャパン
【萩大志館】萩市出身者でつくる事業創造チーム
月額500円の支援で 萩っ子に上京経験を!
【東京遊学ツアー】 by萩大志館&NTAトラベル
探訪ナビゲーター 香川妙美
越ケ浜→土原→大井で育つ。中学・高校と音楽にのめりこんだことをきっかけに、東京の専門学校に進学。音楽ビジネスを学ぶ。その後、音楽事務所、自動車関連の会社で働き、2013年からはフリーランスとして独り立ち。現在は、企業のPRのお手伝いやライター業を主な仕事にしつつ、その傍ら大学で学んでいます。萩の好きなスポットは、図書館。
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